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歌舞伎座「七月大歌舞伎:夜の部」 七月大歌舞伎は、あっとびっくり泉鏡花大特集! 夜の部の演目は「山吹(やまぶき)」そして「天守物語(てんしゅものがり)」でした。 座長は坂東玉三郎。泉鏡花への思い入れは強く、特に「天守物語」は監督として自ら映画化もしています。 「天守物語」は泉鏡花の戯曲の中でも、最高傑作と言われる名作で、舞台・歌舞伎・映画・オペラとさまざまに演じられています。波津彬子さんのマンガ「鏡花夢幻」もなかなかの佳作だったなー。あと私の記憶に新しいのは玉三郎監督の映画です。宮沢りえの亀姫はびっくりするほど人外の雰囲気を漂わせていて、非常に感心した覚えがあります。演技というか台詞まわしは……まあ……。げほげほ。 それはともかく、まずは最初の演目「山吹」です。昼夜合わせて4本のうち、この話だけ未読。チラシもあまりチェックせず、先入観無しで観ることにしました。 冒頭、弘法大師の祭で修善寺温泉が賑わっているにもかかわらず、ひっそりしている裏道の茶屋で、人形遣の老人、辺栗藤次(中村歌六)は酒を喰らい酔いつぶれています。そこを通りかかる美しい婦人と壮年の男性。 男の方は洋画家島津正(市川段治郎)といい、婦人の自分に対する一見からかいとも見える執心に困惑しています。実はその婦人は、小糸川子爵夫人、縫子(市川笑三郎)。婚家のあまりの仕打ちに家出してきたのでした。島津は、縫子が婚前、密かな恋に身を焦がしていた相手だったのです。 どうでそこの池に死んで浮かぶ鯉のように、自分も死ぬ覚悟を決める身の上、その間だけどうか島津夫人として同行させてもらえないかと縫子は懇願しますが、島津はむしろ短慮を諭し、立ち去ります。取り残され、絶望に打ちひしがれる縫子。しかしその時、ちょうど酔いが醒めて出てきた藤次が、鯉の骸を拾い上げるのを見て、なかばはやけになったように「望むことがあるならかなえてあげよう」と提案します。 しかし藤次の望みとは、美しい女性に、死ぬほどの折檻をしてもらうということでした。最初は恐る恐る、しまいには憤激を全てぶつけるように藤次を殴る縫子。通りかかった島津はその有様に驚きます。藤次は自分の所行である女を死なせてしまった痛恨の思いを、今日折檻してもらって、やっと昇華できたと語ります。そしてできることなら、これからもずっとそうしてもらいたいと。
すっげー話です。 なんだか見終わった後、ちょっと呆然としてしまいました。縫子と藤次は自分たちのある種の誠実さが、これ以上この世では貫けないことを知り、現世を超えて彼岸をたどる道を選びます。また島津は、自分もそこへ行こうかと誘惑に駆られつつも、「仕事がある」と断念します。明治以降の近代国家成立の枠組の中で、生きることがどれほど不自由になっているのか、幽玄と薄暮の世界がどのように駆逐されていったかをこの戯曲はよく表しています。 いや「仕事がある」ってすごい決め台詞ですよ。島津は、一瞬の誘惑に駆られますが、自分には成さねばならぬ使命=芸術がある、この世でその薄暮の世界との橋渡しをせねばならぬと思い直している。これはおそらく泉鏡花自身の使命感だと思います。思えば、彼は追い払われようとしている江戸情緒と神秘の世界の最後の守り手でした。 客席からは笑いがこぼれていたけれど、泉鏡花の当時の語彙が今にそぐわぬだけで、この台詞は島津にとって、現世への一種のプロテスト宣言なわけです。なぜあえて今回の演目に玉三郎がこれをいれたのかも、なんとなく推し量れるような気がします。 歌六の藤次は好演です。一歩間違うとすごく滑稽になってしまうのに、打擲(ちょうちゃく)されたいその哀切がきちんと伝わってきました。笑三郎は、傘を破くところが鬼気迫っていてよかったです。二人が花道から寄り添って去っていくシーンは、思わずこちらも見送ってしまいました。段治郎は、健康で常識のある、けれど二人の道行きが何を意味しているのかを悟るだけの知性と思いやりある芸術家をけれんなしに演じていました。最後の台詞は良かったです。 今回休憩は一度きりでした。 「天守物語」。恐らくほとんどの人が、玉三郎演じる富姫様と海老蔵演じる図書之助を見に来たんじゃないでしょうか。 播磨守の居城、白鷺城の天守閣には妖怪変化が住まっており、その主は富姫(坂東玉三郎)。 ある日、猪苗代の妹分、亀姫(市川春猿)が手みやげを携え、遊びに来ます。その手みやげとは播磨守の親戚、亀姫の住む城主の生首。喜んで受け取る富姫は播磨守秘蔵の兜をやはりお持たせに用意していましたが気が変わり、目障りな鷹狩りの隊列から鷹を奪い、亀姫にあげてしまいます。
しかし、その兜がかえって裏目に出て、反逆と盗人の汚名を着せられる図書之助。進退窮まった彼は、むしろ人間の同僚たちより富姫に殺してもらおうとまた天守閣へ。追っ手も続いてやってきます。 天守閣での攻防。守護神の獅子頭の目をつぶされてしまい、不思議なことに、富姫も図書之助も目が見えなくなってしまいます。しかし、富姫が追っ手に生首を投げつけ、皆は驚き恐れます。なぜならそれは亀姫の土産、播磨守の親戚、猪苗代城主の首。播磨守とそっくりだったので、てっきり城主の首があやかしに取られたと侍たちは勘違いし、我先に逃げていきます。 悲しみに暮れつつ、盲目のまま手を取り合う二人。そこへ獅子頭を作った大工、桃六(市川猿弥)が現れ、獅子頭を修理し、おかげで二人の目も見えるようになります。 美しいエンディングでした。ストーリーは、事態がどうなってしまうのかということに明確な結末を提示してはいないのですが、地上の喧噪をよそに桃六が朗々とした高笑いをあげ、富姫と図書之助が寄り添い合う姿が光に包まれていくことで、彼らがまったくこの世ではない、もっと高い次元へと登っていったのがよくわかりました。 富姫様はそりゃあ美しゅうございました。玉三郎、ちゃんと人間に見えません(褒めているのよ)。そして亀姫様とのやり取りはかわいらしくもまた、愛らしい。客席からは笑いがこぼれていました。
泉鏡花は台詞のセンテンスが短く、言葉と言葉の関係性が、時制があやふやだったり目的語がぼやかされてたりとはっきりしない。それに言い回しが特殊なので結構、聞き取れないと意味が文脈からは類推できないこともあるので、役者によっては何言ってんのかわからないことが。それに鏡花の言語センスがやや今のそれと合致しなくなっているので……(例としては「図書之助」というネーミングで笑っていたひと多数。確かに時代劇で馴染みのある名前ではない)。 しかし、海老蔵は全部聞き取れました。聞き取れりゃいいってもんでもないけど、まあ姿の美しさもよろしかったですし、これからも精進して下さい。猿弥も良かったです。あの人若いのになあ、あんな老け役で……またうまいし(笑)。 「山吹」の後がこれっていうのがすごいです。というか、これの前が「山吹」なのがすごいのか。さすがは玉三郎。ということで、今回ちょっと無理して、昼も見に行くことにいたしました。乞うご期待。 ▼泉鏡花記念館 http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/ikkinen/index.htm ▼坂東玉三郎公式サイト http://www.tamasaburo.co.jp/index.html ▼成田家公式Webサイト http://www.naritaya.jp/ ▼市川笑三郎公式ホームページ http://emisaburou.com/ ▼市川春猿オフィシャルサイト http://www.shun-en.com/ ▼市川段治郎OFFICIAL SITE http://www17t.sakura.ne.jp/~danjiro/ |
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